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インドネシアってどんな国?1万以上の島、スカルノ大統領、オリンピックスポーツetc

2021年8月4日
湯浅杏子 (インドネシア)

1万以上の島が赤道周辺に

みなさん、こんにちは。インドネシア在住のKyokoです。私が住む国「インドネシア」について、コラムを書かせていただくことになりました。

みなさんはインドネシアについてどのくらい知っていらっしゃいますか?

私はこれまで「インドネシアってアフリカ?」と聞かれたり、「インドネシア」と「インド」を混同している人に出会ったりしてきました。

日本ではあまり馴染みのない国なのですね。

そんなインドネシアについて、みなさんももしかしたら聞いた事がありそうないくつかのキーワードを交えながらご紹介したいと思います。

まずは基本的な地理情報から。インドネシアは、基本的には日本と同じ、島国です。

ただし、ボルネオ島にはマレーシアとの国境、ニューギニア島にはパプアニューギニアとの国境、ティモール島には東ティモールとの国境があるなど、国境を含む島もいくつかあります。

島の数は日本の比ではなく、1万以上の島が大体赤道の上に横に広がったイメージの国です。

その中の一つ、バリ島はリゾート地として世界各地から多くの観光客が訪れる、有名なリゾートですね。

人口は世界第4位、2億6千万人超えで、世界で最もイスラム教徒が多い国となっています。

日本だと、東京へ行くと「人が多いな~」という感じですが、インドネシアは田舎から都会まで、どこへ行っても人が多いです。

 

インドネシアの英雄スカルノ大統領

スカルノ初代大統領(左)と当時の副大統領ハッタ氏(右)

次に「スカルノ大統領」です。日本人ならきっと知らない人は少ないであろうデヴィ夫人。デヴィ夫人はインドネシア初代大統領の第三夫人です。

スカルノ大統領はインドネシアの英雄として、今でも多くのインドネシア国民に愛される存在。街には銅像もありますし、スカルノ大統領の名前とお顔をプリントしたTシャツなどを着ている人も多いです。

スカルノ大統領のお顔を張っている車やトラックもよく見かけます。なぜ国民の英雄かというと、長く植民地であったインドネシアを独立へと導いたからです。

インドネシアは、1602年から1942年までの300年以上オランダの植民地でした。

オランダの植民地時代の名残は今も有形・無形でたくさん残っています。建物や橋の名称、言語など、オランダ語由来の単語を生活のあちこちで見聞きします。

オランダから独立後は、世界大戦中に約3年間日本の植民地となりました。この長い長い植民地・統治からインドネシアを独立に導いたんですから、それはそれは立派なヒーロー(英雄)というわけです。

インドネシアの通貨ルピアでは最大の10万ルピアには、今もスカルノ初代大統領が、当時の副大統領ハッタ氏と共に描かれています。首都ジャカルタの国際空港の名前も、スカルノ・ハッタ国際空港です。

今このコラムを、東京オリンピックが始まる頃に書いていますが、インドネシアにも「お家芸」があるんですよ。

大統領宮殿で行われた壮行会、バトミントンペア男女。Tribun news, Indonesiaより

それは、バトミントンと重量挙げです。この二つの種目で、インドネシアはメダルの常連国です。

過去にもオリンピック、世界選手権、ワールドカップなど数々の世界大会でメダルをインドネシアへ持ち帰っており、インドネシアでもバドミントンの国際大会なども開かれます。

東京オリンピックでは、バドミントン11人、重量上げ5人を含む、計28人がインドネシア代表として日本へ行っています。インドネシア代表の活躍を願います!

Written by 湯浅杏子(インドネシア)

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